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全景
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所在地
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東京都中野区中野2-25-6
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建築主
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株式会社南協
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施工
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佐藤工業関東支社
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延床面積
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3,959.89m2
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構造・規模
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S造・地下SRC造、地下1階地上7階
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竣工
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1994年5月
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中野駅前の顔となる建物の企画と設計は当然、区の全体計画に支障を及ぼさぬ範囲で進める必要が生じているが、株式会社南協の実情は寸暇を許さなぬ状況下に置かれていた。そこで、株式会社南協と中野区とで協議を重ねた結果、36人の地権者を将来とも確保すること、並びに良好なテナントを招致することを条件として、区の再開発志向に充分な整合性を保つ協議が成立した。
建物は地下1階、地上7階、延床面積4,000m2の内、地権者部分として、1,500m2、地下1階飲食専門店3店、1階店舗5店、2階、7階事務室4室を配列し、他の2,500m2は、サントリー系のスポーツクラブを誘致した。
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中野区におけるノイビルの位置【拡大】
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共同ビルが出来るまで
1951年
(昭和26年)
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中野駅南口広場拡張にともない、駅前商店を現在(旧日本自動車敷地230坪)に一括して移す。中野区人口22万人。
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1952年
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中野駅前南口商業共同組合設立。
初代組合長、鈴木関三郎氏。
公衆用道路造成、36区画飲食店街成立。
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1981年
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中小企業等組合法により精算法人。
中野区基本構想、中野区長期計画策案。
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1983年
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商店街の老朽化が目立ち始める。
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1985年
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中野区まちづくり推進計画。
中野区人口33万人。
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1986年
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隣地を含めた等価交換方式による再建案提示(ディペロッパーより3案)。 |
1988年
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組合員により建設委員会設立。
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1990年
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組合員全員にて株式会社南協設立。
初代社長、鈴木隆氏。
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1991年
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共同ビル(共有ビル)基本計画案提示。
中野区と協議開始。
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1992年
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地権者相互間の建設同意締結。
中野区、東京都住宅供給公社と協議成立。
建設確認完了。8月着工。
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1993年
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中野区住宅マスタープラン策定。
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1994年
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5月工事完了。
地権者部分店舗等営業開始。
6月ティプネススポーツクラブオープン。
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